資本主義の発展を知って心が楽になった話

一人が好き

人と会うと疲れる。だから休みの日は一人になりたい。

私は人と会うと、そのあと一人になってから必ず反省会をして苦しむような性格でした。

すごく楽しかった日も、すごく仲のいい人と会った日も、なんなら家族と出かけた日も、例外なくそうです。

誰かと一緒に過ごす。会話する。時間を共有する。そういうことが、すごく苦手でした。すごく楽しくて、けれど楽しいほど相手に気を使わせているような気がして、一人になったあとの反省会でそのことを思うとすごく疲れるからです。

私が楽しい思いをすると、その分だけ相手に気を使わせて我慢させているんだ。

そんな思いと罪悪感がすごく苦しくて、仕事でさえ人と会うのが憂鬱でした。

どうやらこれは「ゼロサム思考」という認知バイアスが原因のようです。「あなたの得は私の損」という見方をしてしまう心理的概念のことです。

経済学との出会い

けれどここ数年、オーディブルなどの活用で小説以外の本をたくさん読むようになり、『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』という本に出会いました。

その本が面白くて、経済学に興味を持ち、経済学の本を何冊か読むうちに「Win-Win」という概念を知りました。「各人が自分の利益にも他者の利益にも関心を持つ合意」のことで、これは「全員の利益を増大させる合意を見つけること」です。つまり、私の利益は他者の損にはならない、という考え方になります。

経済学の本ではよく、あなたの事業を信じてお金を貸すのでこのお金で事業を大きくして大きく回収した利益で貸した分より少し多めに返してね、というやり取りとして紹介されています。

この考え方を知り、何冊かの本を読んで何度も何度も目にするうちにふと思いました。

もしかしたら、その場にいる全員が快適に過ごすことはこの考え方に当てはめると可能なのでは?と。

考え方の転換

そもそも私は、複数人が集まったとき、その場にある『快適指数』の総量は決まっている、と思っていました。

どんなふうに考えていたかというと、たとえば、一人でいるときの快適指数が100だとしたら、3人集まればその場の快適指数は100×3で300になる。
誰かが一人でいるときの快適指数をそのまま持ち寄り場に出して、みんなで共有する。このとき、誰かが「一人でいるときよりも楽しい」と思ったら、その人がその場の快適指数300から200を持っていく。その場にいる人は、その一人の「快適指数200」を保持するために「快適指数50」で我慢する。要するに、ちょっと気になることを言われたとか、もうつかれた、とか、一人でいるときには感じない微妙な不快を、「一人でいるときよりも楽しい」と感じる誰かのために我慢しているはずだ、と考えていたのです。
この思考がベースにあったため、私はいつも誰かといて楽しくなると「我慢させた、気を使わせた、申し訳なかった」と思っていました。

だから私は、誰かと一緒にいて楽しい思いをすればするほど、その後すごく落ち込みました。
私があの人の快適指数を奪っていたんだ、と。
そんな思いから、後ろめたさや罪悪感が芽生え、誰かを遊びや食事に誘えなくなったりしました。

けれど経済学の本を読み、資本主義の発展について知るうちにそうではないと気づいたのです。

誰かと一緒に過ごす時間は、いわゆる信用取引みたいなもので成り立ち、その場にある快適指数が300であっても、互いへの信用という担保により、全員が快適指数200過ごせる方法、つまり、一時的にその場の快適指数を600にすることが可能かもしれない、と。
「Win-Win」という概念は身近な人間関係にも使えるのではないか、と。

実践してみる

経済学の本を読んでいて気付いたことを頭の中で整理しながら、これは使えるかも、と思い、私は友達を食事に誘いました。

そのときに、こんなことを実行しました。

  • 服や髪型など、その日に会って最初に素敵だなと思ったところを言葉にして相手に伝える。
  • 食事を楽しむスピードを合わせて、悪口を言わない。
  • 同じような気づかいを受けた時に「申し訳ない」と思うのではなく「嬉しい」と口に出してみる。

とても些細なことですが、これらを意識してやってみました。これらの行為を「信用取引」に見立てたのです。

すると不思議なことに、その日は一人になったあとの罪悪感が小さく感じました。これは信用取引だ、という考え方がすでに頭にあったからかもしれないし、快適さの総量は増やせるということをその場で体感できたのかもしれません。相手の感じ方がどうだったかはわからないので、体感でしかないのですが、それでも、私にはとても快適で楽しくて、その日の帰りは「今日すっごく楽しかった!また遊ぼうね!」と素直に言うことができました。
帰り道では、なんの罪悪感も後ろめたさもなく「楽しかった、ありがとう!」とメッセージを送る事もできたのです。

私にとってはとても心が楽になる経験でした。

この考え方を応用して、会社の人との会話も楽しめるようになりました。
疎遠になっていた友達と気軽に連絡を取れるようになり、遊びや食事に誘えるようになりました。
気軽に誘えるから気軽に断ってもらえるし、同じぐらい気軽に断れるようになりました。
しかも、どれも罪悪感なし。私の心は疲れる頻度が大幅に減りました。こういうのが自立していて健全な人間関係なのだな、と思います。
私が目指していた、自立していて健全な人間関係はこれだったのか、とようやく掴めたような気がしました。

最近あった、読書の効果についての話です。

もし同じ理由で人と会うのが疲れると感じている人は、少しだけ視点をずらしてみるのもありかもしれません。

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